marukunの日記

365日ちょこっと成長

「何でもいい」は面倒くさい

私は「何でもいいよ」が嫌いだ

例えばあなたが食事に行くとして

連れの人に「何がいい?」と聞いて

「何でもいいよ」と答えられたとする。

 

この「何でもいいよ」って、

あなたはどう感じる?

私はうんざりするんだけど。

 

「何でもいい」って、意味が色々あって

大まかに3つに分けられると思う。

 

1つは本当に何でもいい場合。

好き嫌いもないし、そもそも食事に

重きを置いていなかったり、

 

とにかくお腹が空いていて

食べられるのら何でもいいよ、

 

又は単純に相手が好きな場所に

行って喜んでほしい場合。

 

雰囲気で分かるけど、この

「何でもいい」なら大歓迎。

自分のお気に入りに連れて行きたくなる。

 

二つ目の「何でもいいよ」は

相手に遠慮している場合。

 

当人同士の力関係が影響すると思うけど

「どうせ私に決定権がないんだから

考えるだけ無駄」と考えている場合。

 

まあ、先輩後輩とか関係性に優劣があったり

夫婦や親子関係でも「わがまま」や

「我の強い人」なんかの周りではありそう。

 

単純に「お金を払う」人っていう場合も

あるけれどもね。

 

最後に。様子を見ている場合。

 

何となくいきたいお店や料理はあるんだけど

出しゃばるのは気が引ける、、、

出来たら相手から切り出してほしい、、

 

一見謙虚に見えるんだけど、

この場合が一番決まらない

 

だって、本当は行きたいお店はあるから

相手の提案に対して

 

「うーん、、ちょっと

気分じゃないかな、、」

 

「もっとさっぱりした物がいいかな」

 

なんて何だかんだ「不満」を繰り返す。

相手は心の中なんて分からないから

段々イライラしてくるし、

 

でも、決定権はなぜか私にあるように

(見える)ので、

あれこれ考えなきゃいけないし

 

中々決まらない。

楽しい気分も憂鬱になってくる。

 

「何でもいい」という言葉は

一見選択肢が多いように見えて

実はとても正解が少ない言葉なのだ。

 

だから、もし、あなたが

「何でもいいよ」といわれて

中々決まらなかった場合、どうするか。

 

1つは解決の糸口を探る事。

「洋食?和食?」

「さっぱり?ガッツリ?」

 

2択から始めると答えが見つかりやすい

そこからどんどん細かい質問へ進む。

面倒くさいけど。

 

(そして都会じゃないと、そもそもの

選択肢が無いんだけれど。)

 

もう1つは、「何でもいい」と言われたから

あなたの思う所に決めちゃうこと。

 

それで文句を言われても

雰囲気が悪くなっても

気にしない事。

 

これが一番しっくりくると思いませんか?

自分の発言に責任を持つ。

 

そうしたら次回、同じような

シュチュエーションになったとしても

相手はかなり限定的な提案を出すはず。

 

そうなるとあなたも楽になる。

時間の節約になる。

 

けど、わたしなら、

そういう人って敬遠したいけどなあ。

 

「自分の気持ちを当ててほしい」

みたいな人はね。

 

それは遠慮とは言わないけど

本人は遠慮しているつもりだからなあ。

 

 

 

 

 

 

 

エイター!今こそ「笑え」

どうしようもない気分なら笑って!!

すばる君のジャニーズを辞める事で

私を含め多くの人がまだ涙を流している様で

 

この「最悪」の事態をどう乗り切るか

どうしたら通常運転になるのか

それは誰も分からない。

 

たとえこれからの6人の関ジャニ∞

大成功を収めたとしても、

 

たとえ規模が縮小していく事になっても

(想像するだけで恐ろしい)

 

どっちにしろ、すばる君がいなくなった

喪失感は無くならないから。

 

内君の時と事情が違うのは

「誰かを思いっきり責める事が出来た」

ことなんだと思う。

 

飲酒という最終的な決断をしたのは彼だけど

周りにいた大人や、そんな事情を知っている

未成年の彼を守るべき事務所、スタッフへ、

 

ただただ、悔しくて哀しくて

怒ったり、恨んだり、

そんな対象があったんだ。

 

でも今回はちょっと違う。

だって、誰を責める事が出来るの!?

 

夢を持ってしまったすばる君を、

メンバーやファンの人生まで変えた

彼を許してしまったメンバーを

 

それをただ見守るしかないファンが

何を責める事が出来るのだろう。

 

もちろん今回は責めるならすばる君だ。

 

むちゃくちゃ言いたい事があるけど

どうしても彼を恨むことが出来なくて

 

でも、むちゃくちゃ悲しくて寂しい。

ただ、それだけなんだ。

 

そして、これからの関ジャニ∞を思って、

これから1人で戦うすばる君を思って、

どうしようもなく心配なんだ。

 

最初のメールでは悲しさなんて

感じなかった。

 

ただ、茫然とメールの文章を眺めていた。

確かに悲しいという気持ちはあったけど

意外と冷静に受け止めている自分がいて

 

私はまだ大丈夫なんだと

何となく俯瞰で見ていた気がする。

 

でも、記者会見を見て

ネットニュースを読んで

2月からの彼らの活動を見直したら

 

どんどん涙が出てきて本当に止まらない

 

どうしてくれるの、すばる君。

 

ツイッターを見ると、

本当にお葬式の様なんだよ。

 

結構冷静に応援しているハズの私が

夜中に何度も目を覚ましたり

食事が出来なくなったりした。

 

仕事が身に入らず

何をしても気が晴れない。

 

全てあなたのせいとは言わない。

でも、あなたの影響力は

とんでもなく凄いんだからね!

 

これだけ年や経験を重ねた私でさえ

こうだから、繊細な心をもった若い人は、

尚更しんどい日々を送っているだろう。

 

どうしても何も出来ない時は

何をしてもやる気も出なくて

しんどくて苦しいならば、

 

そんな時こそ「笑え!!」

 

たぶん、関ジャニ∞で笑いたいけど

見るだけで涙が出るならば

お笑い番組などで「笑って!!」

 

無理にでも、口角を上げて

思いっきり口を広げて

ゲラゲラ笑ってください。

 

笑う事はポジティブな行動です。

免疫も上がるし、アクティブな行動に

影響を与える脳内物質も活発になる。

 

形だけでもポジティブになれば

身体の奥から陰鬱な気持ちが

少しずつ軽くなっていくはず!

 

(と言う私もまだ涙が出るのだけど)

 

とにかく笑って!!

周りの人があなたの心配をしない様に

 

とにかく笑って!!

これからの彼らを応援するために。

 

こんな経験はもう2度とイヤだけど、

 

こんな素敵な関ジャニ∞に出会ったことを

後悔したくないから。

 

だからこれから

笑って彼らを応援していきたいし

 

笑ってすばる君を送り出したい。

 

たぶん、エイターの笑顔が

今の彼らにとって

一番欲しいものなんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すばる君がいなくなっちゃう

すばる君がジャニーズをやめちゃう。

関ジャニ∞から、渋谷すばるがいなくなる。

そんな事ってある!?

 

私にとって、いや、たぶん多くのファンが

すばる君が関ジャニ∞であり、

関ジャニ∞がすばる君、だったよね。

 

正直、ガッツリのファンてか、エイターに

なったのはここ数年だけど、

デビュー当時から見てはいた。

 

なんだ、このうるさい子たちは!?

ジャニーズも変な路線を作ったな、

そんな印象だった。

 

中でも、どう見てもセンターのすばる君は

傍から見ててもオーラがすごくて

 

「この人を好きになったら

私の人生どうなっちゃうんだろう」

 

そこまで思せる雰囲気があった。

同時に危うくて、グラグラしていて

反骨精神にあふれて

 

お行儀が悪かったり、

カメラをにらみつけたり、

おふざけが過ぎたり。

 

私より一回り年下の、ギラギラした彼を

見ているのは、何だか自分の中の

青春の青い部分を彷彿させるようで

 

近寄っちゃいけない感じがした。

だから、近寄らなかった。

わざと避けていた。

 

でも、段々と露出が増えて行き

どうしても目に入る彼を改めて見た時

どうしてもファンになるしか無いと

 

ある時急に、ストンと沼に落ちた。

歌う姿があまりにも強烈だったから。

魂で歌っていたから。

 

そして少しだけ彼も大人になったようで

あまり心配しないで済むようになっていた。

(それでもあったなあ、反省文とか、、)

 

段々と丸くなって行くようで寂しさも

あったけど、アイドルを受け入れたようで

安心して応援できるようになっていた。

 

だけど、彼は、彼の本質は何も変わっちゃいなかった

 

実は、私のいわゆる「担当」は

安田さんなんだけど

「担当」を超越した存在、

 

それがすばる君だった。

 

彼が関ジャニの中心にいる事が

当たり前だし、当然だった。

 

みんなが彼を必要としていたし

彼もまた、メンバーを必要としていた。

 

愉快で楽しくて、男子中学生みたいな

わちゃわちゃやノリが大好きだった。

 

他のジャニーズがやらない事を

積極的に引き受けてオチになったり

悪のりしたり、、

 

いつだって中心にはすばる君がいて

一言も発しない時でさえ

彼の存在はメンバーの支えだったと思う。

 

いつだってすばる君の顔色を

(いい意味で)うかがっていたし

 

彼が楽しそうに笑えば、メンバーも

すごくうれしそうだった。

 

メンバーに愛されて尊敬されて

敬愛されて必要とされたすばる君が

 

関ジャニ∞からいなくなっちゃう。

 

整理が出来ない。まとまらない。

気持ちが追いついていかない。

 

「本当に行かないで、行かないで」

「うそでしょ!!夢かしら?」

 

何回そう思っても現実は現実で。

 

テレビで大きく取り上げられる位に

大きくなった彼ら、たとえ、

(カウンターアイドル)と言われようと。

 

その、日本で何番目かに大きな

存在になったグループを

すばる君はあっさりと脱ぎ捨てる。

 

メンバーに守られ、愛されていた

ぬくぬくの場所を

 

それなりに意見が言えて、

わがままだって通っちゃう

居心地の良い場所を

 

ただただ、夢を追いかけるために

脱ぎ捨てる。

 

それほどまでに自分に厳しい人を

私は初めて見た。

 

普通は避難所を作っとくでしょ?

リスクを回避したいでしょ?

安全かどうか確かめたいでしょ!!

 

失敗したら関ジャニ∞に帰ればいいなんて

彼は微塵も思いたく無かったのだ。

 

確かに男だ、カッコいい。

凄い人だ、、、

 

でも行かないで!!!

欲しかったなあ、、、、

 

エイターの多くは、彼らの音楽は勿論

あの空気感が好きだったのよ。

 

彼を中心にゲラゲラ笑いあう、

世界一平和で楽しいあの

雰囲気が大好きだったのよ。

 

彼らの発する言葉、一言一句

大切に記録して、心の支えに

なっている人もいっぱいいるのよ。

 

彼の男らしい決断は素晴らしいけど

それ以上に悲しむ人も沢山いて

 

きっとすばる君も分かっているんだ、

どんなにエイトにとっても

エイターにとっても

 

辛い決断だったって事。

自分自身にだって!

 

応援したい、気持ちもある。

でもまだ感情が不安定で

 

6人の関ジャニ∞って言うのも

受け入れる自信がなくて

 

日にちが解決してくれるのかなあ

すばる君がいない事に!?

 

まあ、無理だよねええ。

とりあえず今は。

 

 

 

 

やりたい事なのに続かない?

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どうしても動けない時がある。

やらなくてはいけない事、勉強や

ダイエットとか、続けたい、、のに

 

どうしても動けなくて

ついついスマホなんかをいじって

現実逃避する事がある。

 

時間だけ無駄に過ぎて一日が終わって

あああ~~あ、今日も

何にも出来なかったなあ~~

 

明日こそ、ちゃんとするぞ!

なんて思いつつ何日も過ぎちゃう。

 

それってね、自分を責めてしまいがち

なんだけど、自分の中に

行動を起こすためのエネルギーが

 

空っぽになっているからかもしれない。

 

始める時の「やる気」と続けるための「やる気」

 

何か新しく始めようとする時

人は「よし!やるぞ」って

エネルギーに満ちている。

 

やる気が充満していて

ついつい頑張って無理をしたり

あれこれ手をつけてしまう。

 

当然ながら、そんなフルスロットルでは

3日も持たず、これが本当の

三日坊主というものだ。

 

新しい事に挑戦するのは

誰だって「違う自分になれる」と

わくわくしているから

 

アドレナリンが出まくっているし

挑戦自体が楽しいのだ。

 

でも、それが「普通」になった時。

義務になった時。

突然「面倒な物」に変わるのよね。

 

興奮が収まっているし、

「なりたい自分」なんて

そうそう早くなれないし、

 

目新しさが無いから「面倒」に

なって来るのよね。

 

その時が来たら、

「1つ成長した」と考えてみる。

 

ドラクエとかのゲームで

経験値が少し溜まると

ワンランクアップするのと同じ。

 

今までの武器や敵が

何だか頼りなく思えて来る、あの感じ。

 

目新しいものじゃ無くなったって事は

自分が成長したからで、

次の挑戦に進んでいい印なんだよね。

 

どんどん違う方法に挑戦してみる

だから、「やんなきゃなあ~~」

なんて現実逃避するようになったら、

自分で新しい事を考えてみる。

 

あくまで本質は外さないように

するんだけど、方法を変えてみる。

 

例えば、ダイエットに飽きてきたら

運動を取り入れてみる。

 

勉強に飽きてきたら、音読をメインで

やってみるとか、、

 

そうすると新しいエネルギーが

湧いてくるし、アドレナリンだって

復活するかもしれない。

 

とにかくどんな方法を使ってでも

「やらなきゃいけない事」を続ける事。

それが大事なんだと思う。

 

人が1つの事を達成したり

達人になるための時間は少なくとも

100時間とも1000時間とも言われている。

 

だらだら時間をつぶして

やろうと決めたことから目をそらして

現実逃避をしている位なら、

 

多少方法を変えてでも、寄り道してでも

努力を続ける事が一番の

近道なのかもしれない。

 

 

 

仏壇で心のガス抜きをする?

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最近仏壇に良く手を合わせる。

と言っても、仏教を信じている訳でも

死後の世界を信じている訳でも無い。

 

ただ、お線香を立てて

手を合わせて感謝する。

今の自分、家族、状況を感謝する。

 

これが心の中に溜まりに溜まった

モヤモヤのガス抜きになるんです!

 

もともと、小さいころはキリスト教の教会に

通っていたし(親の教育の一環だった)

 

その影響もあって、仏壇に手を合わせる事に

かなりの抵抗感もあったし、

何だか「ババくさい」感じもした。

 

でも、実際手を合わせてご先祖に

(正確には夫のご先祖ね、、、)

「お話」を始めると、、、

 

仏壇と対話すると気持ちがスッキリする

びっくりするんだけど、

仏壇に毎日手を合わせてから

心が日増しに晴れてきたのね。

 

前にも書いたのだけど

かなり落ち込んでいた時に

自己啓発やらマインドセットやら

 

モチベーションアップの訓練なんかをして

何とか正常を保っていたのだけど、

仏壇で1人ブツブツと

 

「お話する」ようになってから

気持ちの上昇がハッキリと

分かるようになった。

 

ポイントは感謝すること、許すこと

前に何かのテレビ番組で言っていたけど

線香やろうそく、この世とあの世を結ぶ

「アンテナ」でおりんは「合図」なのだと。

 

そう考えると、薄っすい?キリスト教徒でも

何となく後ろめたい気持ちが無くなり

堂々と仏壇に向かえるようになった。

 

(いや、本当の定義では、

物に手を合わせる事自体もNGなんだけど)

 

とにかく、良い香りの線香を立て、

おりんをならして「ご先祖様、聞いて!」

と、一日の始まりに手を合わせる。

 

まずは昨日の出来事とかの報告。

ブツブツ、1人で考えを整理しないで

思ったことを伝える。

 

そして、感謝の気持ちを伝える。

衣食住に何の不満が無い事を感謝する。

 

それから、許すこと。

私は仏壇に向かって「誰誰を許します」

という(ちなみに、何人もいる、、、)

 

これを毎日続けるだけで、

気持ちの乱気流が無くなったのですね、、

 

何で仏壇のおしゃべりが良いのか

もちろん、日々の出来事や

「許す」ことなんて、いつでもできるし

日記とかでも出来ちゃう。

 

でも、仏壇に向かうとやっぱり

「神聖」な物の意識があって

悪い言葉や否定的な言葉を使えない。

 

姿勢を正して、恥ずかしくない言葉で

自分の心をしゃべって、感謝して

人、又は自分を許す。

 

この行為自体が、自分にとって

「喝」を入れる時間でもあり

「癒し」の時間でもあるのです。

 

誰も聞いていない、自分だけの空間。

日記のように「残る」物でもなく

本当の本音を言える時間。

 

最初の方は、涙が出て止まらない日も多く

手を合わせるのも辛い時もあったけど

 

習慣になれば、仏壇に向かわないと

何となく気持ちが悪くなった。

心のよりどころになったのね。

 

優しい人、受け身の人ほど

心の中に「モヤモヤ」が溜まっている。

 

私は決して優しいわけでは無かったけど

あまりにも「モヤモヤ」が溜まりすぎて

おかしくなりそうだった。

 

どこかでガス抜きが必要だとしたら

仏壇こそ最高の聞き手なのかもしれない。

 

まあ、こんなこと数年前には

考えられなかったことなんだけど、、、。

 

ちなみに、仏壇が無くったって

自分の決めた神聖な場所を作って

「おしゃべり」するといいですよ。

 

好きな芸能人なんかの写真でも

良いとは思うけど、、、

本当の宗教になっちゃうわねええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

許せない?許しちゃえ!!

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生きている事が辛くなって

このままだと心が死んでしまうと

危機感を感じた数年前。

 

それでも、誰でも

やり直すことは出来るんだよ!!

という、お話です。。。

 

40代前半。言葉の暴力を沢山受けて

とにかく無気力になってしまった。

生きているのがしんどい、、、

 

でも、とにかく子供を育て上げるまでは

気を確かに持っていたかったし

「明るくて優しいお母さん」で居たかった。

 

精神的にギリギリだったけど

子供のために這いつくばるようにして

生きなきゃいけなかった。

 

だから色々なお悩相談の本や、心理学者の言葉

モチベーションアップの訓練やら自己啓発

マインドのリセットとか果ては開運の占いまで

 

目につくものから試してみた。朝一で鏡に

向かって笑顔で自分に語りかけたり、自分の

感情を全て書き出したり、断捨離だってやった

 

とにかく毎日がギリギリ生きている中で

泣いたりあきらめたり落ち込んだり

自分を責めたり後悔したり

 

今から思うとどうやって毎日過ごしていたのか

どうやって「明るいお母さん」を演じ切って

いたのか分からないけど

 

苦しみながらネガティブな自分を

必死に救い出そうともがいていた。

 

元々はポジティブな性格だったので

少しずつ少しずつ、考え方自体は

前向きになっていった。

 

ギリギリで自分を無くさずに

済んだと思う。

 

でも、どうしてもなくならないのは

「他人を責める事」だ。

 

人を許すことって難しい

自分を持ち上げる事は簡単じゃないけど

訓練で何とかなる。

 

自信が無い人は、心の中の自分のイメージが

傷ついている場合が多く「自分は出来ない」

と思い込んでいる場合が多いそう。

 

その場合、ひたすら「出来る」自分を

想像したり、自分を抱きしめてみる。

物理的にも精神的にも。

 

だけど、一番難しいのは

他人を責める事をやめる事

つまり「許すこと」なのだ。

 

私をここまで追い詰めた人。

 

その人を許さないと(忘れないと)

いつでも記憶がよみがえって

決して前には進まない。

 

そんな時はどうしたらいいのか?

 

実際、色々な方法はあるけど

私にとって一番効果的な方法は

 

「口に出して許す」

 

という事だった。そう、口に出す。

「私は~を許します。」

実はこれ、意外と辛いものだ。

 

実際私は中々口に出せなかった。

だって、本当に許せないもの。

 

でも、それでもこれを乗り越えないと

いけないと自分で分かっているから

絶対に言わないといけない。

 

「~を許します、許します、許します」

ってね。

 

涙は出てくるし、何だか悔しい気持ちも

出てくるし、感情がぐちゃぐちゃになる、

それでも言い続ける。「許します」

 

それを毎日繰り返す。気が付いたら

繰り返す。心の叫びとか痛みを無視して

ひたすら「許す」。

 

するとある時、本当に心が軽くなる。

ふっと、開放される。

 

言葉って本当に力があって、

実際の暴力よりも心に突き刺さるし

人の命をも助けたりする。

 

そんな「言葉」で自分の心に刺さっている

悪意を取り除く方法が

「許す」と口に出すことなのだ。

 

段々「許すこと」が簡単になるから

つまらない事に心の消費を

させないようになってくる。

 

どうしても許せない人がいる時

だまされたと思って

試してみてください。

 

私は「許すこと」で相手を

客観的に見れるようになったし

 

心に頑丈なバリアが作れたような

気がしています。

 

簡単で難しい「許す」ということ。

 

最近思うのは、

意外と人は、「自分を許せない人」が

多いような気もしますが、、、、

 

人生後半戦のカギは子離れ

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さてさて、人生が半分すぎると

子供もそれなりに大きくなって

偉そうに反抗期や思春期に突入します。

 

あの、可愛かった○○ちゃんが

こんな口をきくなんて!!

 

とびっくりするような言葉を言ったり

(吐き捨てたり!!)

態度もそっけなくなってきます。

 

さあ、そうなったら子離れの時間ですよ!

そろそろ、子供中心の人生から

自分中心の人生をスタートする時です。

 

きっぱり子供を切り離すのではなくて、、、

まあ、反抗期や思春期と言ったって

まだ子供だし、親に甘えているからこそ

安心して反抗も出来ているのよね。

 

だから、反抗的な事を言われても

ムキになって言い返したり

「もう知らない」って突き放すのはNGです。

 

彼らも実は心の中で親に対しての暴言等は

「悪い事」と重々承知しているので、

いったん受け止めてあげると安心します。

 

「ワオ、びっくりした!!」なんてね。

 

くどくどと正論を述べるよりは

彼らの罪悪感に訴えた方が

 

お互いスッキリするし

関係もそれ以上悪くならないそうです。

 

彼らが小さかったときのように

必要以上に手や口は出さない。

 

ただ、彼らの行動には目を光らせて

悪い方向へ行かないように「見守る」。

 

自分を大切にすることは子供のため!?

思春期や反抗期は子供たちの

パーソナルスペースが出来上がる時期

でもあります。

 

ここで反抗期を経ずに、親とベタベタな関係が

続くと、異性と付き合う時や結婚した時に

苦労します(分かりますよね~~)

 

とはいえ、いくつになっても子供には

手がかかるものですが、精神的に距離を置く、

これって実は子供の為でもあるんですよね。

 

自分を振り返るとよく分かるのですが、

どんな時でも口を出す私の母親と

離れたくてしょうがなく今でも苦手。

 

何をしても、母親の気に入ることを意識して

生活していると、自分の本当にやりたい事や

欲しいものが分からなくなりました。

 

母親の生活の中心は夫の悪口をいう事と、

子供の管理に費やす時間で占められて、、、

 

いわゆる、子供依存症の大人だったのですね。

 

私が本当の自分を取り戻すのに

とても時間がかかったし

失われた時間が勿体なかったと思うのね。

 

私の母ほどでは無いにしろ

親が子供を離さない、子離れ出来ない事は

子供が自立できるチャンスを与えない事。

 

子供は親の所有物では無い、それだけは

いつでも思い出したいですよね。

 

だから、「子供の為」にも

私達から子離れして、これからは

自分の人生を充実させましょう。

 

子供に頼らなくても良い人生を

 

孫が来るのだけが人生の楽しみなんて

子供にプレッシャーをかけない為にも

 

心から、生きているのって楽しいと

思える人生を歩んでいきましょう。

 

ちょっとわくわくしませんか!?

今の年寄りは若いし元気!!

今からだって、何だってできるのです。

 

ただし、子供の動向だけは

ちゃんと「見守る」べきですよね。